岡部塗装店物語

第1話

1853年、黒船が浦賀に現れ、日本は大きな変化の時を迎えた。海の向こうから来た黒い船は、海面だけでなく人の心の奥にまで波を立て、町の噂は「異国」という言葉を何度も繰り返した。1859年、横浜が開港すると、港には潮の匂いに混じって香辛料や油の匂いが漂い、新しい道具や見慣れぬ材料の話が渦を巻いた。誰もが日々の暮らしに追われながらも、時代そのものが少しずつ塗り替わっていくのを感じていた。
新潟の比較的裕福な家の次男として生まれた岡部平吉は、塗師屋として漆を扱う職人をしていた。漆は約5千年前の土器にも跡が残り、仏教伝来とともに建築技術と一緒に洗練され、風雨から守る塗りに「美しく見せる」という価値と重なっていった。平吉はその歴史を本で読んだのではない。刷毛の抵抗、指先に残る粘り、乾き際の光――感覚の積み重ねとして知っていた。師匠は言った。「漆はただの液体ではない。塗る者の心まで映す」。平吉も塗り面に自分の息遣いが残るのを感じていた。
だが幕末、ペリーと黒船が洋式塗料を持ってきた――そんな話が職人の間を駆け巡る。日米和親条約の建物に初めて洋式塗料が塗られた、江戸の町田辰五郎という名も、噂話のように耳へ入った。漆の世界にいる者ほど眉をひそめ、「外国の塗り物など長持ちするものか」と言った。けれど平吉だけは胸の奥が熱くなるのを止められない。明治に入り近代化が加速すると、西洋式建築と西洋式塗料の「本物」が横浜にあるらしい。噂は輪郭を持ち、遠い港の色が目の前に立ち上がる。平吉の胸で「次の時代」を追いかける火が、静かに強く燃えた。
1871年、解放令発布。どこへでも行けるという言葉は、自由より先に決断を迫ってきた。
(次号に続く)